私が生まれ育った九州には大福やどら焼きといったあんこを使ったいわゆる和菓子文化があまり根付いていません。少し前までは「なんで大福がないの?どら焼きがないの?」と大福やどら焼きの有名店があふれんばかりに立ち並ぶ東京を羨んでいました。
しかし、九州にはどこの地域にもない特別な場所であると、最近になって改めて誇らしく思うようになりました。それは、カステラや丸ぼうろといった南蛮菓子が多く存在すること。そして、南蛮菓子の存在は海外から入ってきたものを一旦受け止める柔軟さ、それらを研究できる材料、日本独自の文化を生み出していける日本の底力を見せてくれます。そして、中国、韓国、ポルトガルにスペインそしてオランダ。九州の和菓子は調べているだけで世界中を旅している気分にさせてくれます。こんなに楽しい和菓子の歴史を辿れるなんて、九州っておもしろいんじゃない?羨ましい気持ちはいつしか誇らしい気持ちに変わっていきました。
砂糖の通り道、その名も“シュガーロード”
鎖国をしていた江戸時代、海外との唯一の窓口があ里ました。それは、長崎県・出島(でじま)という場所。そして、その出島にはスペイン、ポルトガル、中国から渡ってきた中に含まれていたのが砂糖や南蛮菓子です。それらは長崎から佐賀を通り、福岡・小倉(こくら)までを結ぶ「長崎街道」を通り、大阪や江戸へと運ばれていきます。砂糖の通る道、長崎街道は砂糖の道「シュガーロード」と呼ばれるようになります。
この長崎街道というのは九州各地の大名たちが参勤交代や警備、オランダ商館長が海外からの品々や文化を運ぶために栄えていた街道のこと。街道は五十七里(約224km)あり、二十五の宿場町があり、砂糖が運ばれた街道周辺では砂糖、そしてお菓子作りの技法も入手しやすかったといわれています。
この「シュガーロード」は日本国内で最も最先端の文化が芽生えていたとされ、多くの銘菓が誕生しました。また、そのお菓子が次のお菓子へと発展していき、お菓子の世界に革命が起こったともいわれるほど。江戸時代、一般的に砂糖は貴重なだったが、出島から砂糖が入ってくる長崎から福岡の九州北部においてはお菓子にも料理にもたっぷりの砂糖が使われています。九州の砂糖が甘いのはその名残とされています。400年以上もの時をかけて今なお砂糖そして発展し続けるお菓子の文化に触れることができるのです!
しかし、現時点で「シュガーロード」の資料で登場する和菓子は生まれた年代もやってきた国もバラバラであるに関わらず全てひとまとめにされてしまっています。この連載ではどこからやってきた和菓子なのか、いつ生まれたのかを可能な限り明確にしながら「シュガーロード」について詳しく調べていこうと思っています。
シュガーロードから生まれた和菓子
では、具体的にシュガーロードから生まれた和菓子にはどんなものがあるのか。一番有名なものでいうと「カステラ」。カステラから生まれた「カスドース」。そして意外にも「中華菓子」。鎖国下でも長崎では中国との貿易が認められ、たくさんの中国人が住んでいて、中華菓子の文化も残っています。
さらに、「丸ぼうろ」というポルトガルの「ボーロ」に由来する九州では馴染みのあるおやつや、
長崎の中身が空洞のおまんじゅう「逸口香(いっこうこう)」、佐賀のお米を使った生地で作る「白玉饅頭」や「けいらん」、通りに20軒もの羊羹屋が軒を連ねる羊羹の街「小城」、福岡のカステラ生地からできた「カステラ饅頭」「ひよ子」「千鳥饅頭」といったおまんじゅう類など、海外から入ってきた文化を発展させていった九州の和菓子文化は現代まで受け継がれています。
日本の伝統文化である和菓子。しかし「和菓子」という言葉が浸透したのはなんと戦後。新しい、と思っていた文化が昔からあるものだったり、逆に、古くからあると思っていたものが最近のものだったり。まだまだ知らない古くも新しい文化にワクワクしながら、シュガーロードから生まれた和菓子をひとつずつ取り上げて探っていきたいと思います。