前回のカステラの記事にも登場したが、韓国に「ソルギ(설기)」という餅菓子がある。米粉に砂糖を加えて作る蒸しパンのような餅菓子で、子供の100日のお祝いや、初めての誕生日をはじめ、お祭り、お供え、日常的にも食べられる餅菓子である。

餅菓子、と言ったものの、日本と韓国では”餅”の概念が大きく異なる。日本のお餅といえば、もち米を搗いて食べるもちもちのビヨーンと伸びるお餅であるが、韓国のお餅はトック(떡)といい、米粉で作られるため、伸びないのが特徴である。しかし九州のお菓子は生地が米粉でできているものが多いのである。

そして、このソルギに最も似ているのが日本、鹿児島の銘菓であるお菓子「かるかん」である。ソルギをはじめてみた時、「なんで韓国にかるかんがあるの!?」と本当に驚いた。韓国のお菓子に興味を持つきっかけとなった大事なお菓子である。

そしてもう一つ、かるかんの仲間である「高麗餅(これもち)」も韓国に由来する鹿児島の銘菓だ。これらがソルギとどんな関係があるのか探っていこうと思う。

ソルギ(설기)とは

ソルギは韓国では最も大衆的とされており、三国時代(4世紀~7世紀頃)から食べられているとされる古い歴史をもつ蒸した餅菓子だ。市場の餅屋さん、駅に入っている餅菓子屋さんなどで売られている。

市場の餅屋さん 左の白いものがペクソルギ、最近は表面のハートが流行り

ペクソルギは白い雪のような餅、という意味を持ち(漢字表記は白雪糕)、「白」という意味がある「ペク」が名前についている。子供が生まれて100日を祝うお祝いでは、100人に配って食べてもらうと子供が長生きするという謂れがある。韓国語で100は「ペク」と言い、白「ペク」と同じである。日本でいうめでたい(鯛)のような感じでお祝い事には欠かせないお菓子である。

英語でお餅のことを「rice cake」と表現するが、このソルギこそ、お米でできたケーキ、まさにrice cakeの表現がぴったりである。ソルギにはペクソルギ以外にもソルギにはいろいろな種類がある。この前行った釜山のお店ではいちご、ブルーベリー、カボチャ、今流行りのヤックァ(약과)が上にのったものもあった。

약과:小麦粉に、ごま油、蜂蜜、砂糖、水飴、焼酎を混ぜて作った生地を型抜きし、油で揚げた後身時飴と生姜で作ったシロップに浸したお菓子

これは「虹の餅」の意味を持つムジゲトック(무지개떡)。店によって色や使われる材料は異なる。

他にも定番のよもぎ、栗、なつめ、豆など、ソルギの種類は多岐にわたる。もし韓国に行くことがあったら、ぜひ餅屋さんを眺めてみてほしい。

かるかんとは

元祖かるかんといわれる「明石屋」のかるかん

かるかんは米粉、山芋、砂糖を混ぜ、蒸して作るお菓子だ。九州、特に鹿児島の名物でお土産として駅や空港をはじめ、県内のほとんどの和菓子屋さんで購入することができる。形は丸または四角。四角のものはカステラのように大きなものをギフト用では1本、そして自宅用には食べやすいサイズにカットして販売されている。もっちりとした食感が特徴で、中にあんこが入ったものは「かるかん饅頭」と呼ばれる。


中にあんこが入ったかるかん饅頭

私の祖父が鹿児島の出身だったこともあり、小さい頃からなんとなくかるかんの存在は知っていたが、かるかんはあんこの入った「かるかん饅頭」として認識していた。しかし、実際に鹿児島に住んでみるとあんこの入っていない「かるかん」のみの方が地元の人には人気らしい。これをバターで焼いて食べるというなんとも贅沢な食べ方も教えてもらった。

韓国からやってきた「高麗餅」

そして、鹿児島には高麗餅(これもち)という郷土菓子も存在する。

高麗餅(鹿児島/竜乃家)

高麗餅はあずきあんと米粉を混ぜて蒸したお菓子である。かるかんとは違い、九州でも見ることはほとんどなく、鹿児島県内でしかみられないお菓子であるが、鹿児島県内の和菓子屋さんであればほとんどのお店で売られている。高麗餅が伝わったものとして、大阪の村雨や東京の御目出糖がある。一口目はもふっと、噛むとむぎゅっとした食べ応えがある。これも鹿児島に住んでいる時に「韓国から伝わったお菓子」と教えてもらったのだが今回改めて調べてみた。

鹿児島の和菓子屋さんでの高麗餅の製造風景

高麗餅が鹿児島に伝わったのは1598年、島津義弘が捕虜として連れ帰った陶工たちによって伝わったとされる。鹿屋では「シロ」とよび、行事の際にも使われ、「餅返し」という儀式も行われていたという記録が残る。

なぜ「シロ」と呼ばれていたか記述はなかったが、韓国では甑(昔、米や豆などを蒸すのに用いた器)のことを「シル(시루)」とよび、甑を使って作った餅を「シルトック(시루떡)」と呼ぶ。「シル」が「シロ」と呼ばれていたのかもしれない。小豆(パッ)を使ったシルトック「パッシルトック」との類似性も確認されている。

また、日置市でも朝鮮から来た人々が故郷を偲びお供えしていた、と伝わる。1789年には薩摩藩藩主9代斉宣が初めて領地入りした際の食事の献立に登場している。

かるかんはもともとソルギ!?

かるかんが登場する最古の記録は1699年、薩摩藩3代藩主島津綱貴の50歳のお祝いに用いられたというものだ。この時の主原料は米粉と推測されており、先ほど説明したソルギと同じなのである。

鹿児島の和菓子屋さんでのかるかん饅頭の製造風景

かるかんの元祖とされている明石屋。創業のきっかけは薩摩藩11代藩主島津斉彬が江戸で製菓を業としていた播州明石の人、八島(明石)六兵衛を鹿児島に招きいれ、「薩摩独特の菓子を作ることを命じた」ことである。明石屋の名前は六兵衛の出身が明石だったため、店の名前が「明石屋」になったのだそうだ。

明石屋のHPによると、島津斉彬は1855年、新川沿いに水車館を設立、米粉の製造なども行い、「蒸餅」などの保存食の研究開発も進めていたという。ソルギは米粉のみなので日持ちがしない。自然薯が鹿児島で採れたこと、自然薯を入れればソルギよりも日持ちがすること、これらの理由からかるかんは誕生したのではないだろうか。

「かるかんの起源について」という論文によると、この時代京都では山芋を使った薯蕷饅頭がすでにあり、六兵衛は薯蕷饅頭の技術を江戸で身につけた後に鹿児島にやってきて、その技術をかるかんに応用したと考えられている、とのこと。

決定づける資料はないが、かるかんが初めて登場する1699年であれば文禄・慶長の役の後であること、また、朝鮮通信使も日本に来ていること、上記で述べた高麗餅が伝わったのは1598年、同じ時期にソルギが伝わっていてもおかしくはない。すでに伝わっていたソルギに薯蕷饅頭の知識を江戸で学んだ六兵衛によってかるかんが完成したと考えていいのではないだろうか。

かるかんの名前は羊羹の一種と考えられ、軽い食感であることから「軽羹」と名付けられた、というのが名前の由来として上がっている。朝鮮ではカステラのことを「ソルギ」と捉えていたように、日本ではカステラ以前に羊羹が伝わっていることから、羊羹のような形を見て、このような名前になったと考えられる。

ちなみに、韓国の友人にかるかんを食べてもらうと、「ソルギみたいなのにこんなにしっとりしていて柔らかくて、とてもおいしい!」と感激していた。

知っている中では、かるかんは紫いも、抹茶、季節に応じて栗やさくらなどを見かけることがあるが、基本はプレーンであり、韓国のソルギに比べるとまだまだ味の種類は少ない。

霧や櫻やのさくら味の生かるかん「櫻かん」

霧や櫻やのみかん味の生かるかん「橘かん」

最近は高齢化やイノシシの食害などにより自然薯不足が続いている。自然薯が採れなくなれば当然かるかんも食べられなくなってしまう。韓国、鹿児島、明石、東京。さまざまな条件が重ねって誕生し、受け継がれてきたかるかんを今後も食べ続けられることを願う。

参考文献

鹿屋市笠之原につたわる高麗餅「シロ」に関する調査研究

日経新聞 九州・沖縄もち新景

백설기
https://namu.wiki/w/%EB%B0%B1%EC%84%A4%EA%B8%B0

「かるかんの起源について」
https://k-kentan.repo.nii.ac.jp/records/1278

軽羹百話/明石屋
https://www.akashiya.co.jp/stories/

「かるかん」ピンチ 菓子メーカー、原料の自然薯確保に苦労 「買います」新聞広告も イノシシ食害や掘り手の高齢化が背景
https://373news.com/_news/storyid/165730/

前回の記事

日本とカステラ文化について書きました。ワクワクする大発見をしたのでご覧ください。

カステラとカステラ(카스텔라)