「カステラって和菓子?洋菓子?」

よく聞かれるこの質問。ケーキのようなふわふわのスポンジは洋菓子みたい。だけど売ってるお店は和菓子屋さん…?うーん、カステラは一体どっちなんだろう…?

ふんわりした生地、底のザラメ。鮮やかな黄色のカステラに何度元気をもらい、癒されてきたことか…!今回はそんなカステラがどこからやってきてどうやって発展していったか、関わっているのはポルトガル、韓国!?世界とのつながりを見ながらカステラの歴史を探ってみましょう!

カステラがやってきた!

カステラが日本にやってきたのは室町時代の終わり、ポルトガル人と一緒にやってきたと考えられています。1549年にフランシスコ・ザビエルが、1550年には平戸にやってきたポルトガル船によって伝わったとされていますが、それより前にポルトガル人は薩摩(鹿児島)や豊後(大分)にきているのでザビエルよりも数年前に伝わっている可能性も考えられます。

さて、カステラの原型といわれているのがポルトガルの「パン・デ・ロー(パォンデロー)」というお菓子。そんな「パン・デ・ロー」が日本で食べられることを知り、先日京都にある「カステラ・ド・パウロ」へ行ってきました。

「カステラ・ド・パウロ」はポルトガル人のご主人、パウロさんと奥さんのトモコさんの営むお店。元々はリスボンでお店をやられていましたが、”本物のポルトガル菓子を日本に伝えたい”と2015年に京都にオープン。パウロさんは成長したカステラをポルトガルに里帰りさせたいと、長崎・松翁軒でカステラ作りを学び、トモコさんは大学時代に長崎で食べたカステラのおいしさに感動し、その後ポルトガルにわたり、お菓子の勉強をされたんだそうです。

お店では”食文化比較体験プレート”という、パン・デ・ローを食べ比べることができます。パン・デ・ローは数年前、日本でも流行った「半熟カステラ」のようなもの、という認識だったのですが、ポルトガル国内では地域によって異なるパン・デ・ローが作られているのだそう。

左から①ポルトガル最北部のミーニョ地方のパォンデロー、手でちぎって食べます。②真ん中は長崎のカステラの老舗にて製造技術を習得した店主のパウロさんの作る「パウロのカステラ」。③右下にあるのは銅製やアルミ製の鍋でじゅわっと軽い口あたりの半熟に焼いた、エストレマドゥーラ及びリバテージョ地方のパォンデロー。そして、④小ぶりの素焼きの型でトロリと濃厚な半熟に焼いたベイラリトラル地方のパォンデロー。③のカステラよりもさらに柔らかくカステラ味のクリーム、といった感じ。どれもおいしすぎて感動しました!

さて、“カステラ”という名前は一体どこからやってきたのでしょうか。名前の由来には2つの説があります。

まず1つめ、16世紀頃スペイン全盛を極めていた“カステーリャ王国”。ポルトガル語では「カステーリャ」のことを「カステラ」と発音するんだそう。日本に来ていたポルトガル人に「なんというお菓子ですか?」と尋ねた際、「カステラ(カステーリャ)のお菓子」と答えたことからカステラの名前がついたという説です。

2つめ、カステラを作る際「お城のように高くなれ!(bater as claras em castelo)」と声をかけながら卵の卵白をかき混ぜ高く盛り上がるメレンゲを作るんだそう。そのかけ声の「カステロ」部分が残り、カステラになったという説です。しかし、明確にカステラが名付けられたのがいつ頃かというのはわかっていません。

長崎カステラと東京カステラ

卵、小麦粉、砂糖。当時貴重な材料で作られるカステラですが、カステラを作るのに必要なのは材料だけではありません。カステラを焼くための道具も必要となってきます。今では当たり前の「焼く」という技術も「蒸す」が一般的だった当時は最先端の技術。

しかし、カステラを焼くのに必要なオーブンがありません。そこで、鍋を使い、どうにかオーブンで焼いたものに近づけようと試行錯誤が繰り返されます。最初は丸い菓子鍋に紙を敷き、蓋をして、上下から火をあてていました。こちらは「かすてら鍋(日本式オーブン)」として今の長崎カステラの焼き方の元となっています。

そして、カステラの砂糖の分量が多くなるとともに平鍋が登場します。型に生地を流し、卵焼きのように焼く焼き方で、それが現在の「釜カステラ (東京カステラ)」です。岐阜県恵那市岩村では釜カステラが名物。これは江戸時代、岩村藩のお医者さんが、蘭学を学ぶため長崎へ赴いた際学んだカステラの製法が受け継がれているからなんだそう。

しっとりふわふわの長崎カステラに比べ、しっかりとした食感はパウンドケーキに近いかも。他にも東京のお菓子屋さんで販売しているところがあります。

おもてなしと共に発達したカステラ技術

カステラが発展していった江戸時代、そのきっかけとなったのが韓国からやってきた「朝鮮通信使」だと考えられています。朝鮮通信使は1607年から1811年まで12回にわたり日本を訪れています。第4回目1636年頃からは、もてなしたメニューの中に「かすてら」の文字を見ることができます。初めて文献にカステラが現れた約10年後のことです。

朝鮮通信使へのおもてなしは日本の技術力をアピールする場。1636年ごろには朝鮮通信使に振る舞えるほどカステラの技術が発展していたことがわかります。また他にも「羊羹」「落雁」「あるへいとう」などの記載があり、現在でも韓国では羊羹や落雁に似た「茶食」を食べますが、この頃に伝わったと考えられています。

1592年には村上等安が肥前名護屋で秀吉にカステーラや南蛮菓子を献上した記録が残っており、この20~30年ほどの間に日本のカステラ技術が発展したことが伺えます。

また、韓国側でもこの時に振る舞われてカステラの記述が残っています。しかし、韓国では気候の関係で小麦粉を栽培することができないため、この時期に伝わったレシピが改良されずに残っていると考えられます。そのため、現在韓国で作られるカステラは江戸時代の日本のカステラに近いのではないかと、考えています。

江戸時代のカステラが食べられる!?日本と韓国のカステラ文化

江戸時代になると1689年の「合類日用料理抄」、1718年のお菓子の最古の製法書「古今名物御前菓子秘伝抄」にレシピが掲載され、カステラは全国に広まっていきました。ちなみに、1867年に坂本龍馬が長崎で組織した「海援隊」の日誌にも、カステラ仕様の項目が残されています。

結局カステラは洋菓子?和菓子?

和菓子の定義は明治時代になり開国した際、外国から洋菓子と区別するために生まれた言葉。そのため、明治時代よりも前に日本にあったものは和菓子に分類されます。カステラを含め、海外からやってきたお菓子たちは“南蛮菓子”と呼ばれ、日本におけるお菓子の始まり。

そして、明治になり、開国のおかげでカステラはより品質の高いカステラを作られるようになりました。砂糖、小麦粉、卵のみだった当時のカステラは明治時代になり、水飴が材料に加わったことにより、今のようにしっとりとした食感になりました。「カステラ・ド・パウロ」のトモコさんとお話しした際にも「海を渡ってやってきたパォンデローが日本で進化を遂げたのがカステラ。カステラは立派な和菓子だと思うわ。」とおっしゃっていてとても嬉しかったです。

さらに、ザラメが使われるようになったのも明治時代。底のザラメは私も大好きですが、実はそこに敷いているのではなく、生地と一緒に焼く時に使ったザラメの一部が溶け残って沈んだものなんだそう!長い歴史を歩み、たくさんの人の“おいしいカステラを作るぞ!”という思いが今のおいしいカステラにつながっているんだなぁ、としみじみしました。

参考文献
・砂糖の通った道(弦書房/八百 啓介)
・かすてら(講談社)
・和菓子 第8号(虎屋文庫)
・福砂屋 カステラ文化館
・肥前の菓子(嵯峨新聞社)
・朝鮮通信使をもてなした料理(明石書店/高正晴子)
・松翁軒
https://shooken.com/
・カステラ・ド・パウロ
https://castelladopaulo.com/