2年前の誕生日、東京谷中。ずっと気になっていた岡埜榮泉に行きました。ひとつでもいいですか?と聞くと元気な奥さんが、「もちろんよ!ありがとう〜!」とそんなやりとりも印象深く、大きく柔らかい生地に包まれた濃厚なこしあんは私の中でどうしても忘れられない豆大福になりました。

その後も何度か行ったのですがお店のお休みと重なり、なかなか食べられずにいました。11月に東京に行った時のこと。「今日なら空いているかな?」とのぞいてみることに。

岡埜榮泉といえば、豆大福が有名で都内には暖簾分けのお店がたくさんあります。 豆大福は平均的なものよりも大きめ。優しい生地にたっぷりのこしあんが包まれています。雰囲気は似ているのですが、それぞれのお店で特徴があって本当においしいんです。

そんな谷中の岡埜榮泉さん、今回運よくあいていたのでせっかくならいろんなお話聞きたいなと思い、思い切って「お話聞かせてください!」と尋ねることに。

すると、元気のいい奥さん、新島良子(りょうこ)さんと職人のご主人伸浩(のぶひろ)さんが1時間以上もとても貴重で、そしてとてもほっこりする素敵なお話を聞かせてくださいました。

店内に飾られるお店の外観のイラスト

−お店はずっとここでやられてるんですか?

創業して120年になります。前のお店(戦前)は2軒くらい隣にあったんですが、谷中って戦争の時空襲の噂がすごくって。近くの警察署を守るためにこの辺半径なんmは更地にさせられちゃったみたいで。うちもそれに入っていて一回潰して、戦後またお店出していいよと言われた時に建てたのが現在の場所です。

店をやってたのでおじいちゃんが慌てて建てちゃったみたいで、戦後だから木も全然ないでしょう?それで深川の方で木を集めて来て棟梁に建ててもらったみたいです。結局、谷中はお寺が100軒以上あるので空襲の標的から外れたみたいなんですけど。

−戦後はお菓子があまりつくれなかったんじゃないんですか?

そうそう。お砂糖とか仕入れるのが大変だったって、おじいちゃんがいってました。私は嫁なので。砂糖が貴重で、甘いものがいまみたいにないからすごく売れたみたいです。だから大変だけどやりがいはあったって。

岡埜榮泉の包み紙は昔の谷中周辺の地図が描かれており、店内ではブックカバーやしおりも販売。

最近は上野公園の方からも谷中銀座の方からも人が来てくれるようになって、商売も楽しいですよ。昔はお墓まいりの後に来る方しかいなくて。お墓まりの後の恒例行事として使っていただくのはもちろん嬉しいですけれど。「谷根千」って言葉もできて、テレビにも出るようになって。いろんな方が来るようになって、大変ですけどやりがいはありますね。

お客さん、農家さん。いろんな人に支えられてこの大福はつくられる。

−岡埜榮泉のお菓子のこだわりはなんですか?

主人達が手作業でつくるこしあんですかね。こしあんって言い方悪いけどめんどくさいんですよ。主人たちが受け継いで来たこしあんっていうのは機械だとものすごい大きい機械を入れないといけない。だから昔から手作業でつくってるんですよね。あんこつくるだけで1日かかってしまう。一生懸命つくっているので、それがこだわりかな。

うちの小豆は北海道の十勝産を使っています。北海道の十勝産って供給もちゃんとしてて味も間違いないので。ただ、15年くらい前小豆が不作の時があって。小豆を十勝のいつものところから仕入れられなかったんです。小豆やさんも頑張ってくれたんだけど、それでもダメで。

豆大福は平日は80~100個 、土日には約150個売れる人気商品。予約可。

結局、その農家の近くの畑で育てている農家さんからとったんです。そしたら小豆がきた時点でいつもと違って。使ってみたら、やっぱりおいしくなかったんです。元が悪いといくら砂糖入れようが何しようがダメ。でもその時はそれしか仕入れられなくて、どうしようもなくて。お客さんからすぐに今までと味が全然違うからこのままいくんだったら買わないと電話がかかってきてしまったんです。

−それだけ味が覚えられているんですね!!!

そうなの、ありがたいですよね。でも自分たちではどうしようもないから、事情を説明したんです。そしたらお客さんもわかってくれて、その時は数ヶ月後にいつもの小豆が仕入れられるようになってなんとか乗り切りましたね。いい物をとっているので、ここ最近は材料が年々上がっています。この時代だからネットとかで探して、安くていいやつを探そうと思っちゃったんですけど、お父さんに「俺が死ぬまでは変えないで」と言われて。

良子さん手書きのPOPもかわいらしい。

その時はわからなかったけれど、今はお父さんの言ってた意味がよくわかりますね。不作になったときに長年の付き合いがあるから材料やさんがものすごく頑張ってくれるんです。

だからその発言をしたことを浅はかだなと思いました。そういうおつきあいも大切にしながらその人たちがいなきゃ自分たちもできない。どんな時でも頑張ってくれるので。いまは気候が変なので、しょっちゅうそのピンチが来るんです。その時にどれほど頑張ってくれるかっていうのがありますよ。自分たちが頑張らないと岡埜榮泉の味がないって思ってくれていて。

お客様はもちろん、下から支えてくれる方々がいて、主人達も頑張ってつくれるんだなとほんとにありがたいなと思います。

気候、湿度、気温。感覚を研ぎ澄まして。

朝は6時から主人が準備を始めます。大福のあんこなんかはまとめてつくってるんです。カレーつくるのと一緒でちょっとずつつくってもおいしくない。レシピは昔から代々伝わるものを守り続けています。季節によってもつくり方が変わります。夏はお餅を固めに、柔らかすぎるとおいしくないんです。あんこの塩気も強くするとか。冬は長く餅をついて、柔らかく。寒いとすぐに固くなってしまうんですよ。砂糖、塩の塩梅、餅のつき方、焼き菓子は水加減、大福に関しては特に気をつけてますね。

主人はほかで勉強していないので、新しい和菓子をつくり上げるとか、そうゆうことはできないんだけど、すごいなと思うことがあって。おじいちゃんの代から受け継がれて来たものを、全ていい、と信じてそれを守っているんです。

伸浩さんの得意な焼き菓子

かっこいいお菓子はつくれないけど、昔からのちゃんとしたつくり方を守っている。それがお客さんにわかっていただけてるのが嬉しいですよね。お墓まいりにきてくださる方は子供の時からずっと味が変わらないとか、懐かしいと親しんでいただけるのが今はいいのかなと思っています。

最初は新しい商品づくりに挑戦しようとしたんですけど、今となっては、守ってきたものをきちんと守ろうっていうので主人たちはすごいかっこよかったなって思ってます。新しいことをしてる人達って本当にすごいと思ってるんだけど、同じことを守っていくことも本当に大変で。材料が一つ変わっただけでこんなになっちゃうんだから。守るんだ、という信念でここまでこれたのでそれはこれからも大事にしていきたいです。

大福が繋いでくれた縁

−食べて欲しい場面はありますか?

そうですね…。お祝い事や嬉しい時に食べてもらうのはもちろんなんですけど、ちょっと疲れた時に、カッコつけて食べるものではないので、懐かしかったり、おばあちゃんとの思い出だったり、普段づかいで食べてもらいたいですね。私はチョコレート食べちゃうんですけどね~笑

片手では溢れてしまうほど大きな豆大福

というのも、私もともと和菓子が苦手で嫁に来ちゃったんです。あんこがダメで。洋菓子世代で和菓子に触れる機会がなかった。だから嫁に来るまで和菓子を自分で買ったことなんて一度もなくて。以前働いていた会社で嫌々食べた大福が本当においしかったんです。後から聞くとそれが谷中岡埜榮泉の大福で。びっくりしましたよね。その時はまさか嫁ぐなんて思わなかったです。

その時に初めて、ちゃんとした和菓子はおいしいって感じたんです。だから、和菓子がすんごい好きなわけじゃないからお客さんに対しても正直に言っちゃうんですよね。説明も下手くそ。生姜のお菓子(浮き草)も私にしてみれば甘くって。甘いですか?って聞かれると甘いって答えちゃうんです。

浮き草は生姜をすりおろし、生姜汁と繊維を生地に練りこんだお菓子。ひとつずつ砂糖にくぐらせてコーティングされています。

それでも買ってくれるお客さんやおいしかったって喜んでいただけるので、好みにもよるけど自分で正直に思った通りに言っていいかなって思ってます。カッコつけたり、自分が感じていないことを言ってもしょうがないので。

関係ない話なんですが、私と主人、生年月日、血液型、全部一緒なんです。もう兄弟みたいな感じです(笑)だから、主人はもちろん、お客さんともご縁を大事にしてますね。人とか食べ物も、全部縁で繋がっていると思うのでそれを大切にしていきたいなと思ってます。

顔出しだけは勘弁してね〜!と良子さん。ここには書ききれないほどたくさんのいいお話を聞かせていただきました。ありがとうございます。谷中にお立ち寄りの際はぜひ、豆大福を食べに行ってみてください。

2017年、思いのこもった和菓子とお菓子屋さんを始め、たくさんの方々に支えていただきました。来年もおいしい和菓子を伝えていけたらいいなと思います。ありがとうございました!

店舗情報

店名 谷中岡埜栄泉
住所 〒110-0001 東京都台東区谷中6丁目1−26
電話 03-3828-5711
定休日 月曜日、水曜日
営業時間 9:30~17:00
最寄駅 東京メトロ 根津駅、千駄木駅 JR 日暮里駅
HP https://www.yanaka-okanoeisen.jp/
その他取扱店 伊勢丹新宿本店